《心を整える京都旅②》初の坐禅体験 両足院にて つづき
こんにちは、soraです。
坐禅体験レポ続けていきます。
お坊さんによると、坐禅とは自分の内も外も『観察すること』だそう。
止まっていた方が変化に気付きやすいため、胡座を組んで行うそうです。
でも瞑想はやろうと思えば歩きながらでも、通勤電車の中でも行えるものだと仰っていました。
ただ、いきなりそういった周りの刺激の多いところでやるのは難しいので、日々の坐禅がトレーニングになるのだとか。
いきなり長時間座るのは難しいので、まずは音に集中してみんなで5分間坐禅します。
坐禅を組んでいる広間には縁側がついていて、全て襖を開け放しているので、心地よい風とともに小鳥の囀りが聞こえてきます。
最初は気持ちよく囀りや風の音に耳を傾けていたのですが、だんだんと一緒に坐禅をしている人の衣擦れの音や、鼻を啜る音が気になってきました。
「ん?これって気が散っているのかな??」と考えているうちに、「あー、足が痺れてきたな
ぁ。。」など色々な考えが出てきて、音に集中できなくなっている自分がいました。
やってみて、たったの5分も集中できない自分に驚きました。
集中しようと思ってコレなので、普段の頭の中ってどうなっているんだろうと思うと、ちょっとゾッとします。
次は自分の呼吸と身体に集中して座ってみました。
普段から肩や背中が凝っているのは感じていたのですが、意識してみるとそれ以外にもお腹周りや胃が硬くなっているのを感じました。
坐禅中は腹式呼吸をするのですが、お腹が硬くて思っているより空気が入っていかないんです。
ここ最近、胃の調子があまり良く無かったのですが、硬くなっているのはこの時に初めて気付きました。
ちょっと意識を向ければわかる自分の異変に気付けていなかったことにびっくりしました。
いかに普段余計なことに気を取られて、自分に意識を向けていないのかを実感しました。
最後はちょっと長めに20分座ります。
背筋をのばし自分の身体の軸を感じ、息を吐くごとに余分な力を抜いていきます。
足は痺れるし、軸も時々見失うし、瞑想しながら思考も飛んでしまうけど、とても玲瓏な時間を過ごしました。
(以前、自宅で10分間自己流で瞑想したときはもっと長く感じました。)
この坐禅体験を担当してくださった僧侶の品部東晟さんから
「瞑想について何かわからないことがあれば、こちらに名刺を置いておくのでメールでもInstagramでもいつでもメッセージください。ただ、丁寧な文だと返すの大変なので、AIに質問してると思って端的に連絡ください!」
と仰っていただき、「やっぱりこのお寺進んでいる…!」と驚きました。
内容的にも1時間ちょっと、しっかりと坐禅について教えていただいて二千円でいいんですか!?と思っていたのに、アフターフォローまでしてくださるなんて!!
(しかもInstagramからだとちょっと連絡しやすい気がして嬉しかったです。)
お寺なのでお金のためにやっていらっしゃるわけではないのだと思いますが、あまりにも内容が充実していてまた来たい!と思ってしまいました。
このような貴重な経験に対して、敷居を低くしてくださっていることに感謝です。
全てのお話しが終わった後、30分ぐらい自由時間で庭園を眺めてもよし、縁側で坐禅してもよしとのことでしたので縁側で目を開けたり閉じたりしながらも『いまこの時』に集中しながら坐禅しました。
(写っているのは私ではありません。)
終えてみると、私は肩の力がストンと抜けてスッキリしているのを感じました。
そして私は、このブログを書きながらも気持ちが整うのを感じています。
(坐禅をしたあとに近いスッキリ感!)
書きたいことを考えていると集中して頭の中が整理されるようです。
これからも自分の気持ちの整理のため、また自分と向き合うためにもブログと坐禅を続けていこうと思います。
sora